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私設塾-②

さて、今回は、大阪の歴史的な観点から、この度弊所で開設する私設塾と関連させてブログを書きたいと思っています。素人談義甚だしいと思いますが、間違っていたらご指摘いただけばいいんだという精神のもと、気楽に書こうと思います。

大阪人が大好きなのは太閤さん、秀吉さんです。太閤さんは、大阪城を構えました。大阪城のある場所は上町台地と言われ、高台になっており、地盤も固い。そして、大阪城の北と東は大きな川が流れています。防衛が図りやすい、災害にも強い、そんな土地に立地しているんです。
かつて信長さんが「大坂は日本一の境地なり」と言ったそうで、信長さんが本願寺とやりやって奪い取ろうとした土地こそが、大阪城のある場所なんです。

太閤さんは、大阪城の南に寺町を形成しました。これは有事の際の防衛のためでもあります。で、大阪城の西には、武家屋敷群を作り、東横堀川を越えた西には商人の街をつくりました。これが今も大阪経済の中心となっている船場という土地です。

太閤さんは、船場に、全国各地から有能な商人を集めました。船場内に今も平野町や伏見町といった、他の地域の地名が見られるのはその名残です。たとえば、伏見町は、京都伏見の呉服商を集めた地域です。その地域の近辺には、京町堀という地名も残っています。ちなみに弊所の住所も京町堀です。

太閤さんが亡くなられ、徳川政権、江戸時代が始まります。そして日本の中心は江戸へ移ってしまうのです。
これを機に、大坂の商人が爆発的に力を伸ばしていったんです。江戸が中心、大坂には大した規制は及びません。太閤さんが全国各地から大坂商人が躍動しだしたんです。

ただ、規制が及ばない=無関心ですので、もちろん幕府からの助成も行われません。大坂商人は、受益者負担の精神を下に、私財を投じて街を発展させていったのです。
たとえば、大坂にあるお堀(今は埋め立てられたものが多いです。)やその堀にかけられた橋は、そのほとんどが私財を投じて大坂の商人が作り上げたものです。お堀を掘ったら、船を走らすことができて、運送の便がよくなる、だから、そのお堀で得をする人がお金を出し合おうと。このような受益者負担の精神で大坂の街をつくっていきました。

その精神はインフラ整備だけではとどまりません。その一つが塾(私設塾)でした。
緒方洪庵が開いた適塾が有名ですが、大坂の商人が私財を投じてできた懐徳堂など、多くの私設塾が存在していました。

今回、私が私設塾を開設しようと思ったのも、まず一つは、学歴に悩む子どもを目の当たりにしたからですが、その先には、その子ども達に挑戦できる環境を整えることで、(試験がうまくいこうがいくまいが)、将来の日本を支えてくれる人材を育成できると思ったからです。そんな気持ちのいい世界を望む多くの人たちと協力して、受益者負担の精神で、私設塾を開設し、育んでいければと考えています。